目次へ  前ページへ  次ページへ


 第六章 若越中世社会の形成
   第五節 平安中・後期の対外交流
    二 日宋貿易と若狭・越前国
      藤原為房と「唐人」
 応徳三年十一月、白河天皇はわが子善仁親王(堀河天皇)に位を譲って自らは上皇となり、院政を行った。それ以降、平安時代後期は院政期といわれている。
 さて、この院政期初頭に若狭・越前国に来航する宋人の活動には顕著なものがある。とくに敦賀津は都に近いこともあり、院の近臣が宋人と交易をして「唐物」を調達している事例が、二例ほど知られるので紹介することにする。
 院政期の有能な官僚で院の近臣としても有名な藤原為房は、寛治五年(一〇九一)、任国である加賀国に下り、政務を執ったのち、七月に帰京の途につく。その帰路の行程については第四章第五節でも史料を引用したが、彼の日記であるその『為房卿記』によれば、七月十九日に国府を出発してから、淡津の泊を経て、二十日、越前の大丹生の泊に着き、夜になって敦賀に着いて官舎に宿した。そして、二十一日は敦賀の官舎に休息したが、敦賀津に流来していた宋人の陳苛という人物が、為房の泊まっていた官舎に来て「籍」(書籍か)を進めている。為房は返礼として「資粮(糧)」を与えたとされている。
写真116 福井市大丹生町付近

写真116 福井市大丹生町付近

 さらに『為房卿記』閏七月二日条に「去月廿五日、宋人尭忠、敦賀津に来着するの由、今日、之を聞く。国行に附して方物を送る」(記八〇)とあり、八月十七日条には「次、参内す。唐紙等を献ず」とあることから、為房は宋人尭忠が敦賀に来航したことを聞きつけ、使を遣わして交易を行い、「唐紙」など「唐物」を入手し献上したことがわかる。以上のように、敦賀津における院の近臣と宋人との交易活動には注目すべきものがある。
 



目次へ  前ページへ  次ページへ