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 第六章 若越中世社会の形成
   第五節 平安中・後期の対外交流
    二 日宋貿易と若狭・越前国
      楊宥の越前来航
 『十三代要略』永保二年八月三日条には「大宋商客楊宥、献ずる所の鸚鵡、越前国司に仰せて進上せしむ」(編七〇七)とみえ、『百練抄』や『江記』逸文によれば、八日に献上された鸚鵡を白河天皇が見ている。この鸚鵡は九月十一日に返却されるが、越前から献上された鸚鵡は平安京の貴族の関心をひいたと思われる。『本朝無題詩』二によれば、大江佐国は「大宋商人、鸚鵡を献ずるを聞く」という漢詩を作っている。この漢詩に関する史料は乏しく時期もまた不明だが、おそらくこの時のことと推定されている。これらのことから、永保二年にも越前国に宋商が来航して、鸚鵡を献上していることが知られる。
 以上のように摂関期後半では、康平三年・承暦四年・永保二年の三度、越前への宋人の来航が知られ、しだいに活発になる様相をみせる。とくに、次に述べるように院政期になると、宋人は頻繁に若狭・越前国に来航するようになるが、その端緒は承暦四年の宋商孫忠らの来航に始まるといえよう。



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