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 第六章 若越中世社会の形成
   第四節 北陸道の水陸交通
     三 武者往来の道
      日吉神社の分布
 比叡山の山岳信仰を源流とした日吉神社は地主神とされ、天台宗延暦寺の創建とともにその鎮守神となった。越前馬場と加賀馬場が延暦寺の傘下に入ると、白山と比叡山をつなぐ道沿いに、延暦寺の守護神である日吉神社が勧請されたと考えられる。そこで、日吉神社の分布を調べたものが表50である。日吉神社を勧請したのはいつであったか明らかではないが、古道の位置を示しているように思われる。

表50 越前国における日吉神社の分布

表50 越前国における日吉神社の分布
 その分布は、一般的に古代の道路を踏襲したと考えられる近世の道沿いにみられるようである。たとえば、「越藩拾遺録」(『越前若狭地誌叢書』上)に「東ハ丸岡ヨリ鳴鹿ヘ至リ此川ヲ越ヘ松岡ヘ出、下吉野ヲ経テ小幡坂ヲ越ヘ、阿波カ原ヨリ成願寺渡村ニテ川ヲ越ヘ東郷ヘ出、榎木坂ヲ越ヘ粟田部・五箇ヘカカリ牧谷坂ヲ越ヘテ新河原ノ渡シヨリ鯖波ヘ出ル」とあることから、西袋(福井市)や落井(鯖江市)の場合はこの古道ルート沿いであったと考えられるからである。また上竹田・山竹田(丸岡町)の場合は、鳴鹿で九頭竜川を渡り、山道をとって上竹田・山竹田を経由すれば、加賀国江沼郡の山中温泉(石川県山中町)への短捷路として古くから利用されていたと考えられるからである。
 



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