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 第六章 若越中世社会の形成
   第二節 北国武士団の形成と領主制
    二 武者の家の形成
      武士の暴力団的性格
 当時武士の暴力団的・犯罪者的性格はきわだっており、頼信の兄弟頼親のように「殺人の上手」とまでいわれた人物もいる(『御堂関白記』寛仁元年三月十一日条)。彼らは暗殺や闘乱の常習犯だから、事件・問題にこと欠かない(高橋昌明『清盛以前』)。平安時代、治安が乱れたので民間に武力が起こったと説く、武士発生史上の一見解がある。実は関係は逆で、武士の野放しが治安を乱し、社会不安を醸し出しているのである。貴顕側近の武力といっても、ただのおとなしい儀杖兵ではない。
 貞正らの逮捕のために武芸人を派遣したとあるが、武芸人とは当時都の武者として知られた源頼親・頼信・頼光や平致頼・致経などであろう。彼らの派遣があったのは、貞正たちの武力があなどりがたいものだったからである。事件を伝える『小右記』には「貞正随兵を率いて」とあり、数は不明ながら郎従を直率していたことがわかる。武士としての力量も水準を越えるものがあったと考えてよい。



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