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 第五章 福井平野に広がる東大寺の荘園
   第二節 荘園の人びとと中央との交流
    二 交易・交通
      安都宿雄足をめぐる交易
 前節でみた安都宿雄足と越前とのつながりのなかで、交易が行われている例がある。すでに造東大寺司主典に転出したあとの天平宝字二年(七五八)八月「越前国司牒」(寺一五)によれば、越前国司は安都雄足に対し紫の購入を依頼している。すなわち、二丈六尺四寸の代金二貫文を軍団の官人である丹生団百長の宍人黒麻呂に持たせて派遣するから、「宜しく意趣を察し、慇懃に求め買い、早速送り到るべし」と要請しているのである。これは都での交易であるが、逆に安都雄足が越前での交易を依頼する場合もあった。  天平宝字六年「奉写二部大般若経銭用帳」(文八五)の十二月二十三日の項には、主典安都宿らの名で「廿貫買経師等布施料調布料附足羽郡主帳出雲赤人」という支出項目がある。これは経師などに布施として渡す調布を購入するための代金二〇貫文を、上京していた足羽郡の主帳に託したことを意味する。出雲赤人はその銭を持って越前に帰り、調布を購入し雄足のもとに送ったことであろう。
 こうした事例では支払い手段は銭であった。それは都での購入をめざして都まで持参したこと、および造東大寺司の支出であることから当然のことである。したがって越前でも銭を入手し、あるいはそれで物を購入することは可能であったことがわかる。しかしそれはどちらも国郡衙が関与している事例であり、それをもって越前における銭の流通状況を一般化できないことは、先に述べたとおりである。また、武生市下ノ宮遺跡や敦賀市松原遺跡などで、和同開珎をはじめとする銅銭が出土しているが、これらは祭祀に用いられたものであり(第四章第二節)、やはり銭の一般的流通を物語るものとはいえないだろう。



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