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 第五章 福井平野に広がる東大寺の荘園
   第一節 初期荘園の成立と経営
    四 経営組織の性格と初期荘園の没落
      さまざまな使者
 初期荘園の史料をみてまず気がつくことは、そこに登場する多様な使者である。もちろん、のちの荘園でも多数の使者がみえるが、初期荘園の経営は使者によって担われていたといっても過言ではない。それは臨時に派遣され、複数荘園を管轄するというところに特色が現われている。現地に常駐する者もいたが、後世の荘園のような「荘官」は存在しない。このような特色はどこからくるのであろうか。
 結論を先に述べれば、当時の寺院の荘園管理機構の未整備によると考えられる。それゆえ荘園の管理は、初期の段階では東大寺という寺院ではなく、造東大寺司という政府官司とその官人が担わねばならなかったのである。一方、現地では国郡の官人(とくに郡司とその下僚)が重要な役割を果たしていたことも、東大寺独自の現地の管理機構が未発達であったことと表裏一体の関係にある。このような特徴は荘園専属の荘民がいまだ存在しないことと密接な関係があった。



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