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 第五章 福井平野に広がる東大寺の荘園
   第一節 初期荘園の成立と経営
    三 郡司と初期荘園―鯖田国富荘と道守荘―
      東大寺領北陸荘園の二つの類型
 以上述べてきた桑原荘についで、比較的豊富な史料が残っているものに、坂井郡の鯖田国富荘と足羽郡の道守荘がある。これらの荘園はそれぞれの郡の大領である品遅(治)部君(公)広耳・生江臣東人が成立とその後の経営に大きくかかわっている点で共通性があり、ここでまとめて扱うことにする。  このようにいずれの荘園も、成立ないしその後の経営に各郡の郡司が深くかかわっている点、先にみた桑原荘と大きく異なっている。この点は従来から注目され、桑原荘と鯖田国富荘・道守荘とは、東大寺領荘園の二類型のそれぞれの代表的存在としてとらえられてきた。そして、この二つの類型で初期荘園のその後の運命も大きく分かれ、桑原荘のような中央の官営的な直接経営は早く没落し、地方豪族である郡司の深く関与した鯖田国富荘・道守荘は比較的遅くまで命脈を保っていたという理解に結びついている(岸俊男『日本古代政治史研究』)。
 しかし、後者の点については、後世の荘園目録の記載をもってその荘園が存続していたあかしとはしえないので、二類型をたてる考え方は再検討を迫られている。ただ、二類型論はすべて成り立たないかというとそうではない。当郡の郡司が大きく関与するか否かはやはり重要な違いといえる。ただ、その郡司を古墳時代からの権威に依拠した「地方豪族」という側面からのみ理解してよいかどうかは問題である。この点はのちに詳しく述べることにする。また、坂井郡の鯖田国富荘と足羽郡の道守荘は、同じく郡司が関与するといっても関与のしかたやその意味は異なっている。この点もここで考えてみることにしたい。



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