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 第五章 福井平野に広がる東大寺の荘園
   第一節 初期荘園の成立と経営
    二 直接経営をめざした初期荘園―桑原荘―
      耕作以外の労働力
 建物や垣の造作・修理・運搬には、雇傭労働力が用いられた。雇傭労働者には人別一日につき稲一束(白米五升、現在量では約二升)の賃金と稲四把(現在量では白米八合)の食料があてがわれた。
 板倉の新造については、「様工」に仕事を請け負わせたようで、功食料を前に渡して、造作後に清算している。「様工」とは請負で仕事を行う工人たちをさす言葉で、当時の造営工事ではほかに伐木・桧皮葺・筏流しなどの作業についてみられる。なお、板倉新造工事の功食料の算定は人別に行われており、同じく請負形態であった田の開墾の功直が面積一町を単位にしているのと異なる。
 さて、溝の開削にかかわる労働力については、詳細なデータがある(寺九)。雇傭労働力が用いられ、功食の支給額はほかと同じである。溝を掘る労働量を計算する場合は、二つのケースが考えられる。一つは長方形の断面、一つは三角形の断面である。もちろん現実の断面はこのような形ではないが、当時の役人が計算する場合に頭に描いていたものである。その場合注意しなければならないのは、溝の広さ(幅)は、水の流れる部分のみではなく、両側の土手の部分を含んでいることである。なぜなら、これらの溝の敷設に関する文書が問題にしているのは、それによってつぶされる口分田などの田地や畦であるからである。
図89 桑原荘の溝断面図

図89 桑原荘の溝断面図

 「越前国使等解」(寺九)に記す溝長一二三〇丈(約四・四キロメートル)のいちばん長い、おそらく幹線をなす溝は図89―bのような三角形断面、長さ三〇〇丈のものは図89―aのような長方形断面と考えれば、それによって計算した一人一日の掘る土の体積は、前者は一〇五立方尺、後者は一〇八立方尺でほぼ等しくなる。盛り上げる分も入れて仕事量全体を出す場合はそれぞれの数値を二倍すればよい。この仕事量はほかの溝工事についてもほぼ同じであり、当時の標準であったことがわかる。ちなみに、建設省で定められているガラ石なしの土掘作業量は六・二五立方メートル(約二二五立方尺)で、奈良時代の作業量とほぼ同じであるという(水野時二『条里制の歴史地理学的研究』、水野柳太郎「古代用水をめぐる面積と労働量の計算」『日本古代の社会と経済』下)。当時の労働用具は今日のスコップより若干効率は劣るかもしれないが、とくに過大な労働量を課しているわけではなく、付近の班田農民の雇傭労働で十分可能な作業であったと考えられる。



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