建物や垣の造作・修理・運搬には、雇傭労働力が用いられた。雇傭労働者には人別一日につき稲一束(白米五升、現在量では約二升)の賃金と稲四把(現在量では白米八合)の食料があてがわれた。
板倉の新造については、「様工」に仕事を請け負わせたようで、功食料を前に渡して、造作後に清算している。「様工」とは請負で仕事を行う工人たちをさす言葉で、当時の造営工事ではほかに伐木・桧皮葺・筏流しなどの作業についてみられる。なお、板倉新造工事の功食料の算定は人別に行われており、同じく請負形態であった田の開墾の功直が面積一町を単位にしているのと異なる。
さて、溝の開削にかかわる労働力については、詳細なデータがある(寺九)。雇傭労働力が用いられ、功食の支給額はほかと同じである。溝を掘る労働量を計算する場合は、二つのケースが考えられる。一つは長方形の断面、一つは三角形の断面である。もちろん現実の断面はこのような形ではないが、当時の役人が計算する場合に頭に描いていたものである。その場合注意しなければならないのは、溝の広さ(幅)は、水の流れる部分のみではなく、両側の土手の部分を含んでいることである。なぜなら、これらの溝の敷設に関する文書が問題にしているのは、それによってつぶされる口分田などの田地や畦であるからである。 |