目次へ  前ページへ  次ページへ


 第五章 福井平野に広がる東大寺の荘園
   第一節 初期荘園の成立と経営
    二 直接経営をめざした初期荘園―桑原荘―
      桑原荘の収支の特徴
 次に、賃租価直や田租以外の収入についてみると、初年度と二年度において生江東人によってもたらされた大量の稲が重要な役割を果たしていたことがわかる。この桑原荘は貴族から買得したものであり、少しではあるが開田部分があった。しかし、その賃租の価直はわずかであり、荘園の当初の設備投資のための資金としては不足していた。このような時に、当初荘園経営の資金としての重要な役割を果たしたのが、隣郡の郡司生江東人から投入された膨大な稲である。稲は当時動産の中心をなし、貨幣的機能を有していたことは第二節に述べるとおりである。
 次に建物と雑物を表40によってみてみよう。建物のうち草葺の建物三棟は、大伴麻呂から譲り受けたものであるが、いずれも雪によって押しつぶされており、修理が必要であった。また、一棟の板倉の新造が計画されている。一方、草葺板敷の寄棟造の建物および板葺建物が足羽郡より移し建てられている。いうまでもなく、生江東人の稲の投入と関係する。これらの建物を合わせて初年度は六棟であり、次年度に二棟を買い加えて計八棟の建物が存在した。これらは「荘所」とか「産業所」とかよばれて、荘園経営の拠点的な役割を担うものであった。

表40 桑原荘の建物・雑物

表40 桑原荘の建物・雑物
 初年度に購入された「雑物」の性格については、大きく二つの見解に分かれている。すなわち、一つはこれらを荘園の労働者の生産・生活用具とみる見方である。いま一つは、実際の生産・生活用具ではなく、荘園での農耕祭祀での使用品とみる見方である。ここに挙げられた数のみでは、荘園の労働力に対しては少なすぎることや、初年度に購入されたあとまったく破損がなく、その後買い足されていない点から考えると後者の説が有利のように思われる。
 しかし、これらを直属労働力のために実際に用いられた用具類と考える必要はなく、荘所にあらかじめ備え置かれた用具とすれば、かならずしも祭祀と関係づけねばならない必然性はない。それぞれの器物ごとにまとまった数が購入されているので、具体的な必要に応じて購入されたというよりも、雇傭される農民・工人などのために一括して将来の予備として購入されたと考えられる。ふだんは賃租農民によって耕作されているので、荘所で労働・生活用具を準備する必要はないが、荘所では溝の開削や舂米などに雇傭労働力を用いることが予想されたので、実際に使用したかどうかはともかく、荘園の経営にとって必要物と考えられて、あらかじめ買い整えられたのであろう。



目次へ  前ページへ  次ページへ