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 第五章 福井平野に広がる東大寺の荘園
   第一節 初期荘園の成立と経営
    一 荘園の成立と奈良時代の政治
      荘園をめぐる政治と経済
 これまで荘園の盛衰が時の政権によって直接左右されるさまをみてきたが、同時に史料から観察されたのは、墾田の所有権をめぐる争いで、自らの権利を主張するための二つの原理の存在である。一つは未開地を先に占めるということであり、いま一つは開墾の労働力を投入していることが権利の保持に不可欠であったことである。これら両者のうち、どちらが優先されるかは個々の事例で一概にいえないが、先にみた限りでは後者の論理の優越性が読み取れる。
 そしてその開墾に必要な労働力に相当する稲などの動産を支払うことによって、所有権を手に入れることができるという原理も確認できる。当時、郡領を出す譜代氏族の出身で、造東大寺司史生としての経験も有する生江臣東人のような大豪族は別にして、大規模な溝を用いて行うような開墾は、相当有力な農民でも自らがその労働力を組織する主体になることはできなかった。
 ところが東大寺は膨大な動産にものをいわせて、買収などを通じて農民の小規模な墾田の果実を自分のものにしてゆくのである。その東大寺も政権担当者との関係いかんによっては、荘園の経営について大きな影響を受けざるをえなかった。
 先に墾田獲得について、それを有利に利用しうる条件として、政治力と経済力を挙げた。「越前国司解」をはじめとする文書に現われたありさまは、まさに政治の論理と経済の論理がからみあいながら進行した初期荘園の歴史を示しているのである。



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