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 第五章 福井平野に広がる東大寺の荘園
   第一節 初期荘園の成立と経営
    一 荘園の成立と奈良時代の政治
      先占と開墾の実績
 前者の佐味公入麻呂の場合、彼が先に占有を認められたことが自らの主張の大きな根拠であり、国司による最初の入麻呂勝訴の判決もおそらくそのことを認めたものであろう。しかし、寺(造東大寺司)側は、開墾の実績を楯にくいさがった。そこで入麻呂はその寺の主張を一部認めた形で、開墾費用を東大寺に支払うことで自らの権利の確保をはかったのである(支払いは実現しなかったが)。
 後者の別鷹山の場合は逆である。こちらは東大寺に先占の権利があった。しかし、どうもそれだけでは不十分であったようで、寺は百姓の鷹山に代価を支払って買収するという形をとっている。  このようにみてくると、先に占取したことを主張することが権利保持のために必要であったことが明らかであるが、さらに重要なことは、それだけでは不十分な場合があったことである。決定的に重視されたのは、開墾を実質的に行ってきたという実績である。そこでものをいうのが、そのための費用を負担しうる経済力である。
 佐味入麻呂の場合は開墾費用を東大寺に支払って自らの権利を確保することができず、国分寺への施入という形で逃れようとした。このことに明らかなように、当時の農民は相当有力と思われる者も、開墾の資本(動産)で寺に太刀打ちできるものではなかった。それとは対照的に東大寺側は、別鷹山の例にみるように、卓越する動産で百姓の墾田の買収を進めていったのである。



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