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 第五章 福井平野に広がる東大寺の荘園
   第一節 初期荘園の成立と経営
    一 荘園の成立と奈良時代の政治
      初期荘園とは
 律令制のもとで、開墾活動の成果を領主が最終的にわがものとした大土地所有体制を初期荘園とよぶ。ふつう荘園というと中世の貴族・大寺社などによる大土地所有体制をさすが、古代社会のなかに形成された大土地所有をその初期的なものとみて名づけられたのである。しかし、同じく「荘園」といっても中世のそれと根本的な違いがあった。  そもそも当時は「荘」とは現地の管理事務所である荘所をさし、田地そのものを本来は意味していなかった。○○荘といった場合、土地と耕作者の村落を含みこんだ経営体全体をさすのではなかったのである。田地はかならずしもひと続きのものではなかったし、広大な未開地や荒廃地を含んでいることが多かったことを念頭におく必要がある。また、荘園の田地の耕作者は、周辺の「百姓」(当時は公民一般をさす)であり、専属の「荘民」は本来存在しなかったことをあらかじめ強調しておきたい。  次に領有主体についてであるが、「東大寺領荘園」というと経営は寺院組織が行っていたように聞こえるが、実際には、とくに当初は「造東大寺司」という東大寺の造営・修理のために設けられた政府機関が実質的な荘園の経営を行っていた。ただし、のちに述べるように、時期が下ると寺院の関与する度合いが大きくなってゆく。以後の叙述で、中央の領有主体として「東大寺」の名称を用いるが、造東大寺司をも含んだ広義の名称として用いる場合があることをことわっておく。  ところで、初期荘園の史料はとくに「庄」という字を用いているものが多い。しかし「庄」や「荘」という字は「莊」の俗字・略字でまったく同義である。したがって、ここでは原則として常用漢字の「荘」の字を用いることにする。  初期荘園は最初に述べたように墾田地を集めたものである。その集め方として、(1)野地を占定して開墾してゆく、(2)他人の開墾した田を買収する、(3)他人の開墾した田の寄進による、などが考えられる。いずれも開墾という行為と密接に結びついている。したがって、国家の開墾政策とかかわらざるをえないのである。そこでその開墾政策の展開過程の概略を述べておく。



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