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 第四章 律令制下の若越
   第四節 開発と土地管理
     二 嶺北地方の条里
      大野郡条里の復原
 旧勝山町南東部(大師山西麓)には条里地割の分布がみられる。その条里地割の方位は南北線が北約二五度東の傾きを有し、また、その地割線はかなり明確な条里地割として認めることができる。しかし、条里関係地名は一つもみられない。
図80 大野盆地北西部の推定里界線

図80 大野盆地北西部の推定里界線

 旧乾側村(大野盆地北西部)にも条里地割が分布している。とくに、ここには「壱ノ坪」「二ノ町」「八反町」といった条里関係地名がみられる。中丁「壱ノ坪」の北界は北約一五度東に傾く図80Bの地割線にのり、その延長(l1)は東西約一〇町連続して北約七〜一〇度東に傾くAの地割線(犬山「壱ノ坪」の北界およびその延長であるl2)と交叉している。「二ノ町」は二町区画の長方形をなし、Bの地割線にのる小字地名である。「八反町」も二町区画の長方形をなすが、Aの地割線にのる小字地名である。以上のように、前記三つの各小字の地割線の方向に違いがあるので、それらの数詞がうまく適合するような里の区画を確定することはできない。
 しかし、とりあえずBを条里地割に想定した場合、図80に示した里の区画が一つの可能性として推定できる。すなわち、それは東南隅を一坪として北に数える千鳥式で、前述の条里関係地名の位置を最も満たすものである。それによれば、「壱ノ坪」の東南隅を含む坪の区画が一坪に、「二ノ町」の西半部が二坪に、また「八反町」の東北隅を含む坪区画が十八坪に、それぞれ相当することになる。
 ところで、この坪並配列は四分法の西北条里区のものであり、乾側村付近は大野盆地の西北部に相当する位置にある。したがって、四分法条里の可能性を推定できることになるが、ほかに確証を得る資料はないので、当郡条里プランを解明することは困難であるといえよう。



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