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 第四章 律令制下の若越
   第三節 都につながる北陸道
    一 官道の役割
      弥美駅
 『和名抄』には三方郡に弥美郷がある。木簡では「耳」「美々」「弥美」などと表記されている。弥美駅はこの弥美郷に置かれたものと考えられる。弥美郷は耳川が若狭湾に注ぐ手前に開けた小平野一帯に比定される。美浜町宮代に鎮座する弥美神社をはじめ、木野神社(木野)・佐支神社(久々子)・伊牟移神社(興道寺)は式内社であり、郷市の獅子塚古墳は若狭耳別命の祖の墳墓とされ、興道寺の観音畑廃寺は白鳳時代の寺院、宮代の園林寺の創建は弘仁元年(八一〇)とあるなど早くから開かれた地域であったと考えられる。また、郷市・佐柿周辺には条里地割が明確に遺っている。この地域を東西に走る道と、南から北へ流れる耳川の交点に河原市がある。ここに東西走する道を挟んで北に「大道ノ下」、南に「駒ケ田」という小字がある。このあたりに弥美の駅家があったのではなかろうか。



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