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 第四章 律令制下の若越
   第二節 人びとのくらしと税
    三 人びとのくらし
      山背郷計帳
 正倉院文書として残されている戸籍・計帳は、律令国家が民衆支配を行うために作成した文書であるが、それらは律令制下の人びとのくらしを現代に伝える貴重な史料となっている。以下では天平十二年(七四〇)の越前国江沼郡山背郷(石川県加賀市山代町付近)の計帳およびその他の諸国の戸籍・計帳を使って律令制下の若越の人びとのくらしについて述べてみたいと思うが、その前に計帳について簡単に説明をしておくことにしよう。
 計帳は人別に課税された調庸の負担者とその人数などを把握するために作成された文書で、調庸収取の基礎帳簿となるものである。これに対し、戸籍は氏姓や良賎身分の確定をおこなうとともに、班田収授の基礎台帳となるものであり、その作成目的は異なっている。計帳は、毎年六月末までに各戸主が手実(戸口一人一人の姓名・年齢などを書き上げた申告書)を提出し、国衙ではそれをもとに八月末までに国帳(国郡単位に戸数・口数・調庸物数を集計した統計的文書)を作成して太政官に送る定めであった。そして、中央官司ではこれにより調庸の納入量をあらかじめ把握し、予算の編成を行うのである。このほか歴名(手実の内容に戸ごとの集計その他を書き加え、里を単位に成巻したもの)も作成され、養老元年(七一七)以後はこれも京進されたようである(歴名については京進されなかったとする説もある)。「越前国江沼郡山背郷計帳」(以下「山背郷計帳」)はこの歴名に相当するものである。最初に戸内の人数が課口・不課口、男女、良賎別に記された集計部があり、次いで調庸の納入量が記され、その後に戸主および戸口の姓名・年齢などが書き連ねられている。計帳は現在、全部で一〇余通残存しているが、神亀三年(七二六)および天平五年の「山背国愛宕郡計帳」と天平五年の「右京計帳」がまとまった形で残っているほかはいずれも断簡である。



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