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 第四章 律令制下の若越
   第二節 人びとのくらしと税
    二 荷札木簡と税
      若狭の中男作物
 養老元年十一月、正丁の調副物と中男の正調を廃止し、そのかわり郷土の産物を国の責任で、中男を使役して弁備させることになった。これが中男作物である。『延喜式』主計上によると、若狭の中男作物として、紙・蜀椒子・海藻・鯛楚割・雑鮨・雑があげられている。これにかかわる木簡も出土している。
写真59 木簡(木補22)
 
写真59 木簡(木補22)

  「若狭国遠敷郡<青郷小野里中男海藻六斤>太」(写真59)
  「<青郷中男作物海藻六斤」(木補四一)
 前者は平城京二条大路上の溝状遺構から、後者は長岡宮跡から出土したものである。若狭の中男作物の木簡は、わずか右の二点しか見つかっていないのである。ともに品目は海藻(わかめ)で、重量は六斤である。これは『延喜式』主計上に規定されている中男一人の作物輸貢量と一致する。これが調であるなら、海藻は養老令では正丁一人一三〇斤、中男なら一人三五斤である。もっともこの重さの単位斤には大小二通りあり、養老令の斤は小斤、木簡は大斤とみられる。そうであると、大六斤は小一八斤であるので、ほぼ中男の調の半分が中男作物一人分で、それが一つの荷にまとめられたということになる。
 両木簡とも個人名がない点は、他国の中男作物木簡とも共通する。これは「国に付け、中男を役いて進る」(『続日本紀』養老元年十一月戊午条)というように、中男作物は中男の集団を使役することによって、調達するしくみであったことによる。
 興味深いのは、この二つの木簡とも遠敷郡青郷のものであることである。他郷も中男作物を出しているはずであるから、青郷木簡だけが見つかっているのは一つの偶然であろうが、青郷(里)が先にみたように贄を出す郷(里)であったことを念頭に置くと、注意を引かれるものがある。なぜなら、
  「<因幡国法見郡広端郷清水里丸部百嶋中男作物海藻御贄陸斤天平八年七月<」
のように、「中男作物+御贄」という税目を記すものがあり、中男作物と贄の親近性がうかがえるからである。この木簡では中男作物木簡としては例外的に、個人名まで記しているが、中男作物は通常は国・郡・郷などが貢進主体になり、集団的貢進であるという点で贄と共通性をもっているのである。
 前者の木簡が出土した二条大路上からは、多くの贄木簡が出土していることからすると、前者の「中男海藻」も贄的な扱いを受けていたものかもしれない。



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