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 第四章 律令制下の若越
   第二節 人びとのくらしと税
    二 荷札木簡と税
      越前の庸
 越前の庸木簡は二点あるが、ともに米である。一点は能登郡翼倚里からのもので、庸米六斗と明記している。
 ・「<越前国登能レ郡翼倚×
 ・「<庸米六斗 和銅六年×(木八〇)
 「登能」はその右横に「レ」が書いてあるが、これは能登と書くべきところを、書き間違えたため字を逆に読むように付けた記号である。したがってこれは能登郡のもので、翼倚は『和名抄』にみえる能登国能登郡与木郷にあたる。能登国は養老二年五月に羽咋・能登・鳳至・珠洲の四郡を越前から分割して立国したものである。
 もう一点は品名を書いていないが、六斗という量から米と推定されるものである。
 ・「越前国□珠郡月□〔次カ〕里」
 ・「庸舟木部申 六斗 」(木八六)
 □珠郡は珠洲郡の書き誤りとみられるから、これものちの能登国に属するものであるが、『和名抄』には月次里はない。
 『延喜式』に規定する越前国の庸は韓櫃であるが、それは二一合のみで、それ以外は綿・米を輸すことになっている。庸米木簡はまさにそれに符合するといえよう。ただ先に述べたように、二つの木簡はともにのちの能登国のものであるが、『延喜式』では能登の庸は「白木韓櫃十七合、自余輸綿」となっており、米はない。これは奈良時代との変化といえよう。
 『延喜式』でもう一つの主要な庸品目になっている綿については、先にみた天平十二年「越前国江沼郡山背郷計帳」(公四)に庸綿が記されている。江沼臣族乎加非の戸は「庸綿四屯二両三分」、江沼臣族忍人の戸は「庸綿三屯」である。中男と半輸は庸の負担がなく、次丁は正丁の半分ということから計算すると、乎加非の戸は正丁四人半分、忍人の戸は三人分となる。したがって正丁一人は綿を一屯、すなわち五両二分出している(一両=四分)。この量は『延喜式』主計上に規定する正丁一人分の庸綿の量に合致している。一両は約六七〇グラムであるから、一人分は約三・七キログラムである。



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