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 第四章 律令制下の若越
   第二節 人びとのくらしと税
    一 国郡衙の財政運用
      大税と大税帳
 中央官司にそのまま送られる庸や調と異なり、租や出挙の稲穀は国に留められて、そこでさまざまな用途に使用されたため、毎年いくつもの帳簿がつくられ、詳細な収支状況が中央政府に報告されていた。大税帳・郡稲帳はそれぞれ、大税・郡稲の一年間の収支決算を中央政府に報告したものである。
 大税(正税)は租と大税出挙稲からなるもので、国衙財政の中核を占めるものである。ただ、官稲混合がなされた天平六年以前と以後で大税出挙稲の性格が大きく異なるため、大税も天平六年を画期として内容上に大きな相違がみられる。つまり、天平六年以前は国衙の雑用支出の多くは、郡稲以下の雑官稲によってなされていたため、大税からの支出は舂米料や臨時の経費などごくわずかであったのに対し、天平六年以後は大税出挙稲と雑官稲が一本化されたため、大税の支出対象は大幅に増加するのである。大税帳は天平二年「越前国大税帳」のほか、一〇数か国の天平期の正税帳が正倉院文書として残されているが、こうしたことは当然のことながら大税帳の内容にも反映されており、天平六年以前と以後とでは、同じ大税帳でもその記載内容は大きく違っている。したがって、天平六年以後は国衙財政の収支のほとんどが大税によっているため、大税帳によって国衙財政の内容がほぼ明らかとなるのに対し、天平六年以前は大税の支出対象はわずかであったため、大税帳からは国衙財政の運営状況をその一部しか知ることができないのである。ただ、越前国の場合は天平二年の大税帳のほかに天平四年の郡稲帳が残されているため、天平初期の国衙の財政運営の状況を比較的詳しく知ることができる。



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