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 第四章 律令制下の若越
   第二節 人びとのくらしと税
    一 国郡衙の財政運用
      出挙
 出挙は、春夏に稲を貸し付け、秋にそれを五割(のち三割となる)の利子とともに回収するものである。こうした形で行われる出挙は、本来的には農民に種稲などを分与する慣行に由来するものと考えられるが、律令制下においては稲の貸付は強制的になされており、実質的には税としての性格が強いものであった。出挙の課税方法は租と異なり、令に規定はみえない。ただ、天平十一年(七三九)の「備中国大税負死亡人帳」や秋田県の秋田城跡および茨城県石岡市の鹿の子C遺跡出土の漆紙文書(出挙関係文書)などの出挙に関する史料によると、出挙の貸付は人別で、しかも男性だけでなく女性もその対象とされており、貸付量にはばらつきがあったようである。
 出挙稲の種類は多く、八世紀初めには大税出挙稲・郡稲・公用稲・官奴婢稲など目的ごとにいくつもの出挙がなされていた。このうち最も規模の大きいものが大税出挙稲で、舂米料および臨時の経費に用いられた。郡稲以下の規模の小さい出挙稲は雑官稲とよばれ、それぞれ国衙の諸経費や中央進上物の交易費などに使用された。天平六年雑官稲が大税に混合され(官稲混合)、郡稲以下の出挙稲は大税出挙稲に一本化された。したがって、同じ大税出挙稲でも天平六年以前と以後とでは収支のあり方が大きく異なっている。



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