目次へ  前ページへ  次ページへ


 第四章 律令制下の若越
   第二節 人びとのくらしと税
    一 国郡衙の財政運用
      
 国衙財政の主収入は租と出挙である。このうち租は口分田などの田に対して課された税で、令の規定では一段につき二束二把の稲(穂首)を納めることになっていた。これは上田(収穫量の最も多い田)であれば収穫量の約三パーセントにあたる量で、律令制下の税としては比較的低率であった。租の納入は各地域の収穫時期にしたがって九月中旬から十一月末までに行われる。なお、慶雲三年(七〇六)に租の納入量が段別一束五把に改められるが、これは束把の大きさが改定されたことによるものであり、実質的な負担量に変化はなかった。ただし、天平期の正税帳では租の収支がいずれも稲の単位である束把ではなく、穀の単位である石(斛)斗で表記されており、実際には租は穀で納入されていたようである。穀はほとんど支出されず、もっぱら蓄積にあてられ、不動穀としてその使用が禁止されている穀も多くあった。



目次へ  前ページへ  次ページへ