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 第四章 律令制下の若越
   第二節 人びとのくらしと税
    一 国郡衙の財政運用
      正倉院に残る越前の公文類(帳簿)
 律令財政は中央財政と国衙財政(地方財政)の二つに大きく分けることができる。もちろん、両者はまったく別個のものではなく、その財政運用は統一的に行われていたのであるが、ここでは「越前国大税帳」(公二)、「越前国郡稲帳」(公三)、「越前国義倉帳」(公一)を中心に国衙財政についてみていくことにしよう。
 さて、大税帳・郡稲帳や義倉帳、さらには次に述べる戸籍・計帳などの奈良時代の公文書の大部分は正倉院文書として残存しているが、これは中央に送られたそれらの公文書が反故紙となり、その裏が写経所で利用されたことによるものである。当時は紙はまだ貴重なもので、一度使用した紙もそのまま捨ててしまわずにその裏を再び利用することが多く、とりわけ公文書のような上質紙は利用価値が高かった。大税帳・郡稲帳についていえば、京進されたそれらの文書が中央官司で不用書類として、他の公文書とともにまとめて廃棄され、東大寺の前身である金光明寺の写経所に払い下げられたのち、そこでその裏が利用されたのである。「越前国大税帳」以下の公文書の多くが断簡であるのは、写経所で使用する際、適宜切断されたためであるが、そこで写経関係の記録に利用されたが故に、ほかの写経関係文書とともに東大寺の倉庫であった正倉院に保存されてきたのである。このように大税帳・郡稲帳などの公文書はそれらが重要文書であるが故に残されたのではなく、無価値なものとして廃棄され、写経所でその裏が利用されたという偶然的理由によって残存したものなのである。しかしそれにしても、国衙財政の詳細を物語る公文書類、さらには三項で扱う計帳など、特定の国に関する文書類がこれほど残っている例は越前以外にはなく、古代史を復原する際にも大きな手がかりを与えてくれているのである。



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