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 第四章 律令制下の若越
   第一節 地方のしくみと役人
    三 地方政治のしくみ
      越前国の政治的環境
 この項の最後のむすびとして、律令制下の越前国のおかれた政治的環境を特徴的に示すことがらを二、三述べておきたい。
 まず、律令の規定にすでに定められているように、越前国は三関の一つである愛発関を擁する「関国」であったことである。その政治的重要性は、国司の補任状況について述べたように、中央政権担当者が常に越前国司に注目してきたことに現われている。実際に恵美押勝の乱では、その野望を最終的に打ち砕いた、文字どおりの最後の関門としての役割を果たしている(第三節)。このように、重要な関所を有する国であったので、この国の有力者が特定の皇族・貴族と結びつくのを警戒して、軍防令ではこの国から帳内・資人という皇族・貴族の従者をとることを禁じており、このことが時々の政令で繰り返し確認されている。
 次にこの地域の政治的環境を規定していたことがらとして、律令制以前から重要なものに、対「蝦夷」政策の後方負担地域としてあったことと、日本海対岸諸国との関係の窓口であったことが挙げられる。後者は平和的な関係とは限らず、時として軍事的緊張をともなっていた。これらのことの具体的な様相は別のところでそれぞれ詳しく述べられているので、ここで繰り返すことはしないが、北陸地域が中央の技術を急速に受け入れ、「文明化」をすすめた背景には、このような国策が反映していることを強調しておきたい。



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