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 第四章 律令制下の若越
   第一節 地方のしくみと役人
    三 地方政治のしくみ
      地方の政治と技術の伝播
 武器生産以外の技術の独占と伝播はどのようなものであったであろうか。天平四年の「越前国郡稲帳」(写真52)には、前年に支出した郡稲(郡に分置された公の財源)の支出項目のなかに、錦・綾などの高級織物を織る織機の部品購入費がみえる(以下郡稲帳・正税帳は内容年度で示す)。一方天平六年の尾張国、天平十年の駿河国の正税帳には、高級織物を織る織生の食料が計上されている(『大日本古文書』一・二)。このように農民の生活に無縁の中央に貢納する高級織物の生産は、国衙に付属する工房で公の財源を用いて製作していた。それではその生産技術はどのようにして導入されたのであろうか。
写真52 「越前国郡稲帳」(公3)

写真52 「越前国郡稲帳」(公3)

 まず考えられることは、高度な技術をもった中央政府官人を派遣して、技術指導を行う場合である。たとえば、『続日本紀』和銅四年(七一一)閏六月丁巳条にみえるように、大蔵省織部司の技術官人である「挑文師」を諸国に派遣して、錦・綾という高級織物の生産技術指導を行っている。そしてその成果は、早くも翌年七月に、上記の越前・尾張・駿河を含め、二一か国に初めて錦・綾を織らせたということが同じく『続日本紀』にみえることから明らかである。このように急速に技術の伝播が可能であったのは、高級織物が個々の農民によって生産されていたのではなく、国衙工房で集中的に生産されていたからである。
 それでは、わざわざ地方に技術移転までして生産させた理由は何であろうか。原料の立地や運賃の節約は決定的な理由になりえない。最も考えられることは、調庸その他として納入できる体制を地方につくっておくことが、律令国家の地方支配の基盤を確立するうえで重要であったからではないだろうか。先に述べたように、錦・綾そのものは個々の農民が生産したのではないが、その地域の民衆に食料を給して国衙工房で働かせるという形で、地方民衆の労働力(技術労働力を含む)を国家の支配下において、貢納生産の基盤を確立しようとしたものと考えられる。
 以上、先にみた武器生産ともあわせて結論として述べておきたいのは、その地域の人びとの需要に直接関係ない高度な生産技術が中央政府の指導のもとに導入されてきたこと、それは決して地域の民衆の生活向上を意図したものではなく、律令国家の地方支配の基盤を整備することを目的とするものであったことの二点である。



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