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 第四章 律令制下の若越
   第一節 地方のしくみと役人
    三 地方政治のしくみ
      国司の職務と初期の国司
 国司の職務内容については、養老職員令に記されているが、八世紀初頭に施行された大宝令もほぼ同様であったと考えられる。
(1)民政関係(戸籍計帳による人民の把握とその生活の維持、農業の指導、田地・宅地
  の把握、良賎の身分の把握)
(2)財政関係(租税の徴収や徭役の徴発、調庸などの運搬、租税を収納する倉庫その他
  の官庫の管理)
(3)警察・裁判・軍事関係(国内の治安維持、裁判、兵士の徴発、軍団の人事、兵器や軍
  事施設の管理)
(4)交通関係(駅や伝馬の監督、関所通行証としての過所の発給)
(5)宗教行政(神社や僧尼名簿の管理)
(6)その他(学生の推挙、道徳的に優れた者の表彰、牧・馬牛・遺失物の管理・調査)
 以上が国司一般の職掌であるが、陸奥・出羽・越後などの国司には、「蝦夷」に対する帰順のための食・禄の支給、征討などの仕事が加わり、壱岐・対馬・日向・薩摩・大隅などの国については、辺境防衛、外国使者や帰化に関する仕事があった。また愛発関を擁する越前もその一つである「三関国」については、関所の管理という重要な仕事があった。
 このように軍事・財政・一般行政(右に列挙したもの以外のことがらも含む)を地方において総括するのが国司であり、大きな権限を与えられていたといってよい。「越前国司」の初見は、持統天皇六年(六九二)九月の祥瑞献上記事であるが、それに任じられていた人名は明らかでない。祥瑞献上も令制下の国司の職務の一つであったから、この点に関していえば、この「越前国司」は令制の国司につながる存在であり、特別の任務をおびて臨時に派遣された前代のクニノミコトモチとは異なり、常駐官としての特色を示しているといえよう。ただしこの時期の国司(国宰)は、のちのような強大な軍事・財政権は有していなかったと考えられている(黛弘道『律令国家成立史の研究』)。基本的には令制国司の権限が固まったのは大宝令においてであろう。
 なお、名前がわかる最初の越前国司は和銅元年(七〇八)の高志連村君で、高志=越を名のる氏族の出身であることが注目されている(門脇禎二『日本海域の古代史』)。以前に北陸から中央に進出した一族の一人が国司として起用された可能性が考えられる。



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