目次へ  前ページへ  次ページへ


 第四章 律令制下の若越
   第一節 地方のしくみと役人
    一 律令制地方支配の成立
      律令制地方支配と国郡制
 律令制の時代には、先進的な朝鮮・中国の支配システムが取り入れられて、中央集権的な官僚制による支配がうちたてられた。この節では、若狭・越前を中心とする地域の側から、その支配がどのように及んできたか、支配のしくみや中央政府との関係がどのようなものであったのかなどについて具体的に述べたい。
 中央集権的な地方支配は国・郡の行政支配として行われたが、この国・郡の領域としての枠組みは、地方支配の制度が以後大きく変わっても、今日に至るまで受け継がれている。ここではそれを単なる支配の枠組みとしてのみではなく、律令制的な「文明」の地方への移植の問題としてとらえる視角を示そうと思う。
 コシ地域に中央の直接支配が及ぶのは、比較的遅れる。このことは、以前にも述べられているが、それゆえにかえって急速に律令制的な文明を受け入れていった「模範的」地域であったともいえる。その急激な落差を国郡制支配や初期荘園の開発などにみることができるのではないかと思われる。もちろん、このことは律令制以前のこの地をまったくの「未開」の地とみることを意味しない。そこにおける独自の文化の展開はこれまで強調されてきたところである。ここでは、そのうえに(あるいはそれを否定して)導入された画一的な支配システムを律令制の文明を体現するものととらえ、そのようなシステムはどういうものか、さまざまの側面について述べ、その導入がどのようにして行われてきたのかを明らかにしたい。
 まず国郡制の成立についてみていきたいが、若狭・越前の「国」の成立については第二章第四節で詳細にふれられているので、ここでは国の下部の行政機構で、より民衆に密着した「郡」の制度を中心に述べることにする。



目次へ  前ページへ  次ページへ