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 第三章 コシ・ワカサと日本海文化
   第二節 若越における古代文化の形成
    三 遺跡の語る日本海文化
      四隅突出型墳丘墓
 四隅突出型墳丘墓は、基本的には長方形の墳丘の四隅を突出させた形をしていて、墳丘の斜面には河原石や割石を貼りめぐらせる。規模は大小さまざまあって、突出部を含めて一辺が一〇メートル前後のものから、一辺が六〇メートル以上のものもある。墳丘の頂の下方には遺骸埋葬施設があり、その上には供献土器が多数供えられている。この墳丘墓は、弥生時代後期の山陰地方を特徴づける墓制の一つであった。
 ところが、近年北陸でも四隅突出型墳丘墓が相次いで発見された。小羽山三〇号墓(清水町、弥生時代後期中葉、約三三×二七・五×高さ二・七メートル、図15)、一塚遺跡SX21(石川県松任市、同後期後葉、約二六×二五×高さ?メートル)、杉谷四号墳(富山市、古墳時代前期初葉、約四八×四八×高さ三メートル)である。いずれも、墳丘斜面に貼石をしないことと複次葬でなく単次葬であることを除けば、山陰地方のそれと基本的に変わらない。このことは、北陸道域の四隅突出型墳丘墓は、山陰地方との交流のなかで山陰地方の墓制まで取り入れた点でかなり深い交流(擬制的同族関係ないしは同盟関係)を示す。しかし、貼石をしないことを重視すれば、これらの点にこそ、北陸化された四隅突出型墳丘墓の姿があるともいえる。



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