目次へ  前ページへ  次ページへ


 第三章 コシ・ワカサと日本海文化
   第二節 若越における古代文化の形成
    三 遺跡の語る日本海文化
      舟形石棺
 越前の石棺については、その概要はすでに述べられているが(第二章第一節)、竜ケ岡古墳石棺(福井市、四世紀末葉〜五世紀初葉、舟形石棺)の寄棟屋根形の蓋については、九州有明海岸近くの向野田古墳石棺(熊本県宇土市、四世紀後半、舟形石棺)の影響を受けていると考えられている。これ以後の寄棟屋根形石棺蓋の変化は、棟幅がしだいに広がるという傾向を示す。一方、身の方は棺床の排水孔(溝)がしだいに発達する。新溜古墳石棺(福井市、六世紀初葉、舟形石棺)は、鯨形の舟形石棺で特異な形をしているが、これは玉造築山古墳南棺(島根県玉湯町、五世紀後半、舟形石棺)など出雲の影響を受けている。また、春日山古墳石棺(松岡町、六世紀後半、写真41)は、横口式の舟形石棺であるが、これは、上塩冶地蔵山古墳石棺(島根県出雲市、六世紀後半、横口式家形石棺)などの影響を受けている。越前の石棺が、その画期において九州や出雲の石棺の影響を受けていることは、日本海を通しての首長層の交流の親密さを示すものと考えられる。そのことは、このころ、越前の石棺には畿内の盟主に使用された長持形石棺や家形石棺がまったくみられないことからも肯定できる。
写真41 春日山古墳出土の石棺

写真41 春日山古墳出土の石棺



目次へ  前ページへ  次ページへ