目次へ  前ページへ  次ページへ


 第二章 若越地域の形成
   第四節 ヤマト勢力の浸透
    二 四つの国造
      「国造本紀」の四国造
 『先代旧事本紀』一〇「国造本紀」は、若狭・高志・三国・角鹿の四国造を並べている(写真34)。「国造本紀」の配列がおおむね道ごとになっていること、角鹿のあとが加我国造となっている点からみて、この四国造は福井県関係の国造と考えられるのである。
写真34 『先代旧事本紀』(法160)

写真34 『先代旧事本紀』(法160)

 もっとも高志国造については、これを越後古志郡に比定する有力な学説がある。たとえば「大和の支配が北陸に及ぶ際に、四道将軍説話のように阿倍臣一族が中心となった中央勢力が、かねてからの海路の一要衝であったこの便利の地(越後三島郡・古志郡)に、地方支配の一拠点を置き、一族か有力な輩下を常駐させたものであろう」(新野直吉「国造の世界」『古代の日本』六)との見解があり、そのほかにも越後説は多い(斎藤忠「国造に関する考古学上よりの一試論」『古墳とその時代』・米沢康『北陸古代の政治と社会』など)。
 しかし「高志」のように広汎な地域を表わすともみえる国造が、越後のような遠辺の地に置かれたかどうかははなはだ疑問である。また「国造本紀」の記載順序を重視すべきであろう。



目次へ  前ページへ  次ページへ