目次へ  前ページへ  次ページへ


 第二章 若越地域の形成
   第四節 ヤマト勢力の浸透
    一 高句麗使の来着
      膳臣傾子の活躍
 若狭国造と考えられる膳氏は、元来大王家の食膳を司る側近であったが、雄略朝のころから軍事・外交面でも活躍するようになった。すなわち膳臣斑鳩は、吉備臣小梨・難波吉士赤目子らとともに、新羅を助けて高句麗と戦い、大いにこれを破ったという。また欽明朝の初年、膳臣巴提便は使命を帯びて百済に渡り、愛子を食った虎を退治して勇名を挙げた。
 江渟臣裙代の密告によって高句麗使の来着と道君の越権を知ったヤマト朝廷が、膳臣傾子を越に派遣したのは、こうした先祖の実績をふまえての判断であったに違いない。膳臣傾子は現地に赴いて道君を責めたが、高句麗使らは道君が倭国の大王でないことを悟り、道君に調物を瞞着された事情を傾子に語った。これによって傾子は、捜索して調物を高句麗使に返還させ、傾子は大和に戻って事情を説明したという。



目次へ  前ページへ  次ページへ