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 第二章 若越地域の形成
   第三節 人びとの生産と生活
    二 人びとのくらし
      発掘された主な集落跡
 曾万布遺跡(四世紀)は自然堤防上に立地する。遺構は竪穴式住居一棟、溝(大溝・溝)二条、河道一条、低湿地一か所、窪地一か所を検出している。
 大溝は検出された長さ約七〇メートル、幅三・六〜八・八メートル、深さ一・三〜一・六メートルである。溝の南東部には流れと直交する形に杭二本を打ち込んでおり、一方、北西部でも流れに直交する形に杭数本を打ち込んで、その中間に植物質のものを交互に絡みつけた柵が存在する。ここからは、土器、木器(四脚付槽片・箱材・匙・えぶり・広鍬未成品・横槌・赤色顔料を塗彩した木器細片など)、流木、ヒョウタン、植物種子などが出土した。
 河道は、検出された長さ約四一メートル、幅九・六〜一九・五メートル、深さ一・〇〜二・二メートルである。河道南岸の屈曲部には護岸のための河原石積みと、それから東方に延びる柵一条と北西方に延びる杭列二条とが存在する。
 長泉寺遺跡(四世紀)は鯖江台地の東側沖積地の自然堤防上に立地する。遺構全体が過去の土地改良で上面を削平されており、遺存状態は良くなかったが、集落跡が検出された(図40)。一五棟の掘立柱建物跡、三棟の竪穴式住居跡、六六基の土壙(井戸や墓も含む)がある。建物のほとんどが掘立柱建物であることが注目される。
 長屋遺跡(六〜七世紀)は田島川左岸の自然堤防上に立地する。竪穴式住居跡八棟などが検出されている。住居跡内からは、土師器(甕・甑)、須恵器(有蓋坏・無蓋高坏・有蓋高坏・・壷・甕)、砥石、紡錘車、滑石製小玉、土製小玉、鉄鏃などが出土している。
 新庄遺跡(六世紀)は湧水のある平地に築かれた集落跡で、掘立柱建物跡二〇棟が検出されている。東西棟建物七棟、南北棟建物八棟、南東・北西棟建物が五棟あり、柱穴から検出された土器から、東西建物が最も古く、そのあとに南北棟あるいは南東・北西棟建物が続くと考えられている。多数の土師器・須恵器のほか、土錘一、柱根一八などが出土している。
 古墳時代の平地の遺跡を発掘すると、必ずといってよいほど、数条の水路跡がみつかる。そして、その中からは水をせき止める井堰が検出される場合がある。これらの多くは、水田への用水路か、水田からの排水路である。これらの水路の付近には水田跡の広がることが推測されるが、いまだ確認はされていない。
図40 長泉寺遺跡の遺構図

図40 長泉寺遺跡の遺構図



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