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 第二章 若越地域の形成
   第三節 人びとの生産と生活
    二 人びとのくらし
      発掘された家屋跡
 古墳時代の発掘された家屋跡には、竪穴式住居跡と掘立柱建物跡とがある。前期の竪穴式住居跡は、室遺跡(松岡町)、糞置遺跡・木田遺跡・曾万布遺跡(福井市)、村国遺跡(武生市)などで、後期のそれは長屋遺跡、村国遺跡、堅海遺跡(小浜市)などで検出されている。一方、前期の掘立柱建物跡は、長泉寺遺跡(鯖江市)で、後期のそれは新庄遺跡(大野市)で検出されている。いずれも、開発行為にともない集落跡の一部が発掘されて検出されたにすぎないが、人びとの住居とそこでの生活のようすが明らかになってきた。
図39 竪穴式住居跡の実測図

図39 竪穴式住居跡の実測図
(上:曾万布遺跡、下:長屋遺跡1号住居跡)

 曾万布遺跡の竪穴式住居跡(四世紀、図39上)は、平面形が隅丸方形であり、東西の辺長約五・七メートル、南北の辺長約六・二メートル、深さはかなり削平されていたため浅く〇・〇三〜〇・〇九メートルである。対角線上に柱穴四本と南壁に接して貯蔵穴(径約〇・七メートル、深さ約〇・三メートル)一基を有する。北西部の柱穴の周辺部に薄い焼土の散布がみられるが常設的な炉は存在しない。住居内より、土師器(甕四・壷二・蓋一・高坏二・小型模造土器一・土玉一)、緑色凝灰岩片一(玉作関係遺物)、礫五が出土している。
 長屋遺跡の一号竪穴式住居跡(六世紀、図39下)は、平面形が隅丸方形であり、東西の辺長約六・三メートル、南北の辺長五・八メートル、深さ約〇・二メートルである。対角線上に柱穴四本を有する。炉は地床炉でほぼ中央に位置する。土師器(甕五)、須恵器(有蓋坏二・高 前期と後期の比較をしても、規模などはほとんど変わっていない。ただ、六世紀後葉になると、竪穴式住居内の壁ぎわにカマドがつくられるようである。そのことは、堅海遺跡の竪穴式住居跡や長屋遺跡の六号・八号住居跡からうかがえる。
 長泉寺遺跡の掘立柱建物跡(四世紀)は一五棟、新庄遺跡の掘立柱建物跡(六世紀)は二〇棟検出されている。前期と後期とを比較すると、前期は桁行・梁行ともに間数の少ない建物が多いが、新しくなると間数の多い建物の割合が増えている。また、その規模も、面積からみるとともに四種類に分類できるが、新しくなるとそれぞれが規模を大きくしている。いずれも生活が豊かになったことを示しているようである。



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