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 第二章 若越地域の形成
   第三節 人びとの生産と生活
    二 人びとのくらし
      きらびやかな装飾品の登場
 五世紀中ごろになると越前・若狭の地域にも金や金メッキ、銀や銀メッキなどをしたきらびやかな装飾品が登場する。いずれも朝鮮半島の影響下に普及したものである。天神山七号墳の一対の金製垂飾付耳飾や銀製留金具付胡、向山一号墳(上中町)の金製垂飾付耳飾がそのはしりである。
 五世紀後半〜六世紀前半にかけては、西塚古墳(上中町)の金銅製帯金具・銀鈴・金製
垂飾付耳飾一対・鉄地金銅張の馬具(鏡板・辻金具・剣菱形杏葉)、二本松山古墳(松岡町)の鍍金冠・鍍銀冠や鉄地金銅張の伏鉢をもった眉庇付冑、向出山一号墳(敦賀市)の金銅製頚甲(一号石室)・金銅製三輪玉(二号石室)、十善の森古墳(上中町)の金銅製の冠・三輪玉・双竜文鈴付鏡板、鉄地金銅張の杏葉・辻金具がある。これらを出土した古墳の被葬者は、広域首長やその一族か、地域首長であった。
 しかし、六世紀も後半になると、各ムラの小規模な横穴式石室をもつ円墳や横穴墓からも金環や銀環が出土することから、それらの被葬者である有力農民も金張や銀張の耳環を身につけるほどに一般に広く普及するようになったことがわかる。



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