古墳時代前期の有力な古墳には、副葬品として碧玉石製品が含まれている。碧玉石製品とは、鍬形石・車輪石・石釧の碧玉製の腕飾類のほか、合子・紡錘車・鏃などの器物を碧玉で模したものなどである。碧玉製の腕飾類や器物は、それぞれ実用の品ではなく、首長権の継承儀礼が行われた際の儀式用の器として、ヤマト政権の管掌のもとに製作されて各地の有力首長に配布され、彼らの権威と信望を示すもの(威信財)として機能した。
鍬形石は、巻貝ゴホウラを縦に切った貝輪の形を碧玉にうつしたものであり、同じように車輪石はカサガイやオオツタノハ、石釧はイモガイをそれぞれ碧玉にうつしたものとされている。これら南海産の貝を利用した貝輪は弥生時代に九州北部を中心に分布し、人びとに愛用されたものである。これらの一部が、畿内にもたらされ、碧玉製の腕飾類が創出されたとみられている。
碧玉石製品の分布をみると、その中心は畿内にある。鍬形石は九州東北部から北陸・東海地方までに、車輪石・石釧は九州西部から関東地方にかけてみられる。とくに、鍬形石の分布とヤマト政権から各地の有力首長に配布されたとみられる三角縁神獣鏡の分布とがほぼ重なりあうことから、碧玉石製品は古墳で行われる祭の儀式と古墳づくりの波及にともない、ヤマト政権より各地の有力首長に鏡などとともに配布されたものと考えられている。
そのような碧玉石製品の製作地は今のところ畿内では確認されていないが、北陸地方に一〇遺跡、関東地方に四遺跡、長野県に一遺跡、島根県に一遺跡が知られている。それらのうち北陸地方で製作したことのわかる遺跡は、越前の北部から加賀一帯に限られており、遺跡数・分布密度の両面からみて全国で最も集中度の高い生産地帯であったことを示している(表11)。 |