以上によって、継体天皇の父系は息長氏(少なくとも息長グループ)、母系は三尾氏の公算が高いと考えられる。一方、応神天皇五世の孫というのは系譜的擬制にすぎず、継体天皇は新王朝の始祖にほかならないとする論者もある。 『紀』が前代の武烈をことさら悪王に仕立てたこと、馬飼の少年が迎えられて天下の主となったオケ・ヲケ兄弟(顕宗・仁賢天皇)の説話を挿入したことなどは、継体王権の正統性を主張するための潤色と考えられるので、継体新王朝説にやや有利とみられる。現段階において、継体天皇の前王朝との血縁の有無を決定することは、史料的に無理であろう。しかし、たとえ『記』『紀』や『上宮記』の記載を信じるとしても、その血縁はきわめて稀薄なもので、あたかも前漢王朝と後漢王朝との関係のように、継体天皇を新王朝の始祖と考える妨げとはならないと考えられる。