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 第二章 若越地域の形成
   第二節 継体王権の出現
    一 継体天皇の出自
      二つの三尾氏
 いずれにしても振媛の直系尊属のなかに三国命と名のる人物がいたことは確実であり、これは三尾と三国の同族説に重要な論拠を与えるものである。三国氏と三尾氏を同族とすれば、三尾氏からは継体天皇に二人の妃を出しているし、また継体天皇の母振媛も三尾氏出身と考えられるので、三国・三尾氏の同族関係を矛盾なく理解することができる。
 残る問題は、『記』『紀』に現われる二つの三尾氏の本貫が、越前か近江かの点である。三尾君堅の娘倭媛の子孫が三国氏を名のり、越前坂井郡の雄族となっている点よりみれば、この三尾氏は問題なく越前なのであろう。残る一つ、三尾角折君についてはどうであろうか。
 ここで『紀』が「三尾君堅」と「三尾角折君」と微妙な書き方の相違を示していることは看過しがたい。前者は三尾君が氏姓であり、堅が名であろう。しかし後者は「三尾角折君」までが氏姓であり、蘇我田口臣とか阿倍引田臣とか史上多くみられる、いわゆる複姓の可能性がある。したがって、三尾角折君の角折は地名とも考えられ、現に足羽川と日野川の合流点近くに角折の地名が残っている。
図31 福井市三尾野・角折付近

図31 福井市三尾野・角折付近

 この福井市角折町の南約一八キロメートルに同市三尾野町という地名がある。また三尾野の東約三〇キロメートルの福井市脇三ケ町にある分神社の祭神はイハチワケと伝えられる。イハツクワケの子イハチワケは史上著名な存在でないから、後世の付会とは考えにくい。このように越前足羽郡にも三尾氏の存在がおぼろげながらうかがえるので、第二の三尾氏(三尾角折君)の本拠地をここに考えることも可能ではないかと思われる。
 二つの三尾氏がともに越前の豪族であるとすれば、近江三尾氏は存在しなかったのであろうか。はっきりその非存在を説く論考もあるが(杉原丈夫「継体天皇出自考」『古代日本海文化』五)、近江にはあるいは後世に進出したとも考えられるのである。
 



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