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 第二章 若越地域の形成
   第二節 継体王権の出現
    一 継体天皇の出自
      三国の意義
 継体天皇の母振媛は、『紀』では三国の坂中井の高向、『上宮記』では三国坂井県の多加牟久村の出身と記されている。高向(多加牟久村)は、現在の丸岡町の一部をなす旧高椋村に該当しよう。坂中井(坂井県)はおおむね今の坂井郡に相当する地域であろう。三国はそれより広域なのであるから、現在の三国町を指すという見解は誤りである。少なくとも越前の北半くらいを指す広い地域と考えなければならない。
 三国については古くから「水国」を意味するとする説と、「三つの国」を指すとの両説があったが、「三つの国」と理解した方が正しいと思われる。継体天皇の時代に坂井郡一帯が「水国」であった証跡はまったくみられないからである。しかしながら「三つの国」がのちの律令制下の郡でいう坂井・足羽・丹生、坂井・大野・足羽、または坂井・江沼・足羽のいずれと考えるべきかは、まだ議論の余地がある。
 『上宮記』に「祖にまします三国命」という記載がある。この三国命というのは誰をさしているのか。『上宮記』には「命」のついた人名が、三国命以外に三例あり、いずれも継体天皇の直系尊属の女性ばかりである。先述のように『上宮記』の母系を三尾氏の系譜とみれば、三国命は振媛の母である阿那比売をさしている可能性が強い。アナニヒメは余奴臣の祖であり、余奴は「与野評」と記された墨書土器(写真46)などからエヌ(江沼)と訓む説が強いので(第四章第一節)、三国は江沼・坂井・足羽の三郡をさすという説に若干の根拠を与えることになる。



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