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 第二章 若越地域の形成
   第一節 古墳は語る
     二 越前・若狭の前方後円(方)墳
      越前・若狭の地域首長墳
 越前・若狭の前方後円(方)墳の分布から、政治的な基礎単位地域をいくつに区分するかは、古墳の時期の確実に明らかなものがきわめて数少ないうえに、時期によって地域支配領域の増減が考えられることや、地域首長に継続的に前方後円(方)墳の築造が容認されたとは考えられないことなどから、研究者によって若干異なっているが、現在の調査状況や研究水準ではやむをえない。そこで、一応古墳の分布・地形・水系などから判断して、平安時代に今立・大飯の両郡が分立された段階の各郡ごとに基礎単位地域を考えると次のようになる。
越前(表5-1)
 坂井郡域 1金津地域、2丸岡地域、3福井川西地域、4福井高須地域
 足羽郡域 5福井足羽地域、6福井麻生津地域、7福井文殊地域、8福井東郷地域、
        9福井酒生地域、10松岡地域
 丹生郡域 11清水北部地域、12清水南部地域、13朝日地域、14織田地域、
        15鯖江立待地域、16鯖江西部地域、17武生西部地域
 今立郡域 18鯖江中央部地域、19鯖江東部片上地域、20鯖江東部河和田地域、
        21今立地域、22武生東部地域
 大野郡域 23大野地域
 敦賀郡域 24敦賀地域
若狭(表5-2)
 三方郡域 25美浜地域、26三方地域
 遠敷郡域 27上中地域、28小浜地域、29大飯地域、30高浜地域
以上、三〇の基礎単位地域が想定できる。次に各地域ごとにその首長系譜を論ずべきであろうが、なにぶんにも発掘調査された古墳がきわめて少ないことから、基礎単位地域1〜30ごとの大まかな系譜試案を示すにとどめる。それは、確実な根拠もなく、いたずらに系譜を論じても意味がないからである。今後の新たな発見をまって検証していくことが必要である。
 越前・若狭ともに、地域首長墳の出現は、広域首長墳の出現より早い。越前では安保山二号墳(福井市)にみられるように、まず前方後円墳が出現するが、若狭では松尾谷古墳(三方町)にみられるようにまず前方後方墳が出現する。北陸道域全体をながめると、各地域の首長墳としてはまず前方後方墳が出現するようである。
 越前では、前期から中期前半にかけて盛んに地域首長墳として前方後円(方)墳が築かれるが、以後は規制が加えられ、その数が著しく減少するようである。しかし後期になると、金津地域に一一基もの前方後円墳が築かれたことが注目される。
 若狭では、現在三方地域と小浜地域とで前期地域首長墳が確認されているが、これ以外の地域では確認されていない。美浜地域と高浜地域では、後期前半の地域首長墳が確認されている。



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