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 第二章 若越地域の形成
   第一節 古墳は語る
     二 越前・若狭の前方後円(方)墳
      前方後円(方)墳の分布
 北陸道域の前方後円墳と前方後方墳の数を国別にみると、それぞれ若狭で一七基・一基(計一八基、前方後円墳の割合九四パーセント)、越前で八一基・一〇基(九一基、八六パーセント)、加賀で二三基・一四基(三七基、六二パーセント)、能登で二七基・一九基(四六基、五八パーセント)、越中で一〇基・七基(一七基、五八パーセント)、越後で四基・二基(六基、六六パーセント)である。
 前方後円(方)墳数は、越前・若狭が一〇九基で北陸道域の総数の過半数を占める。また、前方後円墳の割合は、北陸道の入口にあたる越前・若狭は約九〇パーセント、加賀以北の地域では約六〇パーセントであることから、畿内に近い越前・若狭で前方後円墳の割合が高いことがわかる。
 これらのことから、越前・若狭とくに越前が古墳時代に北陸道域のなかにあって著しく隆盛をみたといえる。そして前方後方墳よりも一段被葬者の地位が高いとみられている前方後円墳が数多く営まれたところに、越前・若狭の特徴があったといえよう(図19 越前・若狭における前方後円(方)墳の分布)
 越前での前方後円(方)墳の分布は、敦賀地域とそれ以外の地域とに大きく二分できる。前者は主に笙ノ川水系によって、後者は主に九頭竜川水系によって育まれた平野や盆地の周縁の山麓や山上にみられる。前者では二基にすぎないが、後者では福井平野周辺五五基、鯖武盆地三一基合わせて八六基となり、そのほとんどを占める。このほか、山間部の織田盆地(一基)や大野盆地(一基)、日本海に面した高須川流域(一基)にもみられる。
 一方、若狭での前方後円(方)墳の分布は、主要な河川が形成した平野の周縁の山麓部や山上にみられる。すなわち、耳川流域に一基、川流域に一基、北川流域に一四基、関屋川流域に二基がみられ、とくに北川流域に集中することが指摘できる。南川・佐分利川の両流域では、現在のところ確認されていないが、今後発見される可能性も残る。



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