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 第一章 原始時代の社会と文化
   第二節 米作りのはじまり
    四 村と墳墓
      共同の墓地
 縄文時代の終わりのころの墓制を物語るものとして、成仏・木原町遺跡(永平寺町)があげられる。深鉢形の土器を用いた土器棺墓が一五基発見された。土器の様式や一度埋葬して骨だけになってから深鉢形の土器に再葬するという埋葬の仕方などから、東日本の墓制の類型に含まれる。また、配置も一列に並んでいるものと四、五基がまとまって埋められているものとがあり、ムラにおける出自の差とも考えられる。しかし、土器棺墓それぞれの格差はみられない。弥生時代前期では、この流れがどのように展開したであろうか。糞置遺跡(福井市)の調査事例をもとに考えてみると、前期から中期の古い段階では、土器棺墓の形態をとる。大型の甕や壷を用い、なかには一つの墓壙に五、六棺と複数の土器棺を納める例もみられる。このことから、再葬墓とよばれる東日本の埋葬形態が越前ではとられていたことがわかり、この時期は東日本的弥生時代ともいえる。



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