目次へ  前ページへ  次ページへ


 第一章 原始時代の社会と文化
   第二節 米作りのはじまり
    二 生産と交流
      そのほかの石製品
 吉河遺跡・糞置遺跡など中期から後期にかけての遺跡からは、多量の打製や磨製の石鏃が出土している。そのほかには鉄剣型や銅剣型の石剣も出土している。
 石鏃は、縄文時代のものよりも大きくなり、重さも増してくる。打製の石鏃の大型化と重量化の時期は、高地性集落の出現と環濠集落の発達と併行するという。したがって、狩猟の道具として縄文時代の技術の流れをもつ石鏃が、武器として使われるようになってきた表われであると考えられる。このことは、食料獲得のための用具製作の技術が、戦いのために機能的に発展したことを示すといえよう。 先にふれた吉河遺跡や糞置遺跡から出土している石剣もおそらく戦いに使用されたであろう。「倭国大いに乱れる」(『後漢書』東夷伝)と記されたように政治上の理由や、収穫物・水などをめぐっての争いごとが各地で繰り広げられたのである。
 以上、いくつかの技術についてみてきたが、とりわけ金属器の生産は、今までの生産の仕方や組織をまったく変えてしまう技術改革をもたらした。たんに工具としてのすばらしい働きのみでなく、その工人の把握やモノの所有をめぐって集団と集団が争ったり、銅鐸の鋳造と配布にみられるように進んだ地域と遅れた地域という格差を社会がもちだしたのも、この弥生時代からともいえる。



目次へ  前ページへ  次ページへ