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 第一章 原始時代の社会と文化
   第二節 米作りのはじまり
    二 生産と交流
      玉生産
 吉河遺跡・下屋敷遺跡から数多くの玉作にともなう遺物、玉作関係の道具が出土したことにより、県内の玉作技術の姿が明らかになった。河和田遺跡(坂井町)や糞置遺跡・荒木遺跡(福井市)の玉作の姿も、これによりはっきりとしてきたのである。吉河遺跡の玉作は中期の中ごろに行われていたことは、一緒に出土した土器から明らかであるが、管玉の出土はそれより古いころ(中期初め)からみられるので、福井県の玉作の始まりは中期初めから行われていたとも考えられる。また、この遺跡では硬玉(翡翠)製の勾玉もつくられていた。
 下屋敷遺跡の管玉の原石は凝灰質砂岩で、原産地は竹田川上流か石川県大聖寺川上流であるとされている。大きさは長さが約一五センチメートル、幅約一〇センチメートル、厚さ約五・五センチメートル、重さ一・三キログラム程度から一〇センチメートル角くらいのものまでが使われている。工程については次のようである(図10)。
図10 下屋敷史跡出土管玉の製作行程

図10 下屋敷史跡出土管玉の製作行程
1 原石  2 第1行程  3・4 第2行程  5〜7 第3行程
8・9 第4行程   10・11 第5行程   12・13 第6行程 

  原石(凝灰質砂岩)を工房に持ち込む。
  第一工程 原石に打撃、施溝分割、研磨作業―石核の整形、平坦面を作る。
  第二工程 平坦面に施溝分割を繰り返す―一辺約三センチメートルの立方体を作る。
  第三工程 角柱状のものを調整加工―押圧剥離・研磨―約三ミリメートル大までにする。
  第四工程 角柱状のものに研磨作業―多角柱状の形にする。上・下部も磨く(約一〇ミリ
         メートル程度の長さ)。
  第五工程 多角柱状のものに両側から、玉錐で穴を穿つ。
  第六工程 稜を磨いて円柱状にする。
 右の工程から、施溝分割の技法(薄い板状にして、玉鋸を用いて施溝をし連続して割り取っていく―規格が定まっているので量産できる利点がある)が西日本から伝えられ、それを採り入れながら玉作を行っていることがわかる。さらに、原石を荒く割りながら形を整えていくという従来の伝統的な玉作の技法も合わせながら作業をしているのである。したがって、新しい技術と伝統的な技術の境目で作業をしていたのが、この時期の越前における玉作の状況といえよう。そのほかに玉作のための工具として、砥石・玉錐・楔・有孔円盤状製品などが出土している(福井県埋文センター『下屋敷遺跡・堀江十楽遺跡』)。



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