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 第一章 原始時代の社会と文化
   第二節 米作りのはじまり
    二 生産と交流
      石器から金属器へ
 弥生時代は青銅器や鉄器など金属器が使われるようになった。しかし、縄文時代から受け継がれてきた技術も、中国や朝鮮半島から伝えられた技術を加えて豊かに使い分けられてくる。石製の斧がそれを代表するものである。森林の伐採、木製品の製作、建築の場などに斧は利用された。木を倒して大きく形を整える道具として斧(縦斧)が用いられる方、大きく整えられた素材を削る、抉る、そして仕上げる道具として手斧(横斧)も使われた。このように斧と手斧が使い分けられるようになったのは縄文時代前期中ごろである。
 しかし、縦斧と横斧が使い分けられ、その役割を明確にするようになったのは、朝鮮半島から新しく太形蛤刃石斧(縦斧)・柱状片刃石斧・小型方柱状石斧・扁平片刃石斧(横斧)、合せて四種の磨製石斧が伝えられたことによる。太形蛤刃石斧は伐採や荒割用として、ほかの三種は荒割された木を抉ったり、削ったり、仕上げ用の斧として用いられたのである。
 吉河遺跡(敦賀市)の花粉分析をみると、弥生時代後期前半のころ、付近のシイノキやアカガシの一次林(自然の森)が伐採され、ケヤキ属・クマシデ属などの二次林(その後にできる林)の形成がみられる。また、マツの二次林形成は浜島遺跡(福井市)の花粉分析の結果(図7 浜島遺跡における主な花粉の変遷(1977年度第2トレンチ))からも指摘されている(那須孝悌・山内文「縄文後期・晩期低湿性遺跡における古植生の復元」『考古学・美術史の自然科学的研究』)。この一次林から二次林への移りかわりには、集落の進出と畑地や水田の開作、それにともなう植生の破壊が挙げられる。森林の伐採には太形蛤刃石斧が、同遺跡から出土している槽や蓋・鍬などの木製品の製作には柱状片刃石斧・小型方柱状石斧・扁平片刃石斧の横斧が使われたと考えられる。これらの多種類の磨製石斧の出土例は糞置遺跡(福井市)でもみられる。
図8 吉河遺跡出土の石斧

図8 吉河遺跡出土の石斧
1 太型蛤刃石斧      2 抉入片石斧
3 小型方柱状石斧 4〜6 扁平片刃石斧

 しかし後期以降になると、鉄斧が石器の座にしだいに取って代わるようになる。鉄器の遺物はその性質から残りは少ないが、吉河遺跡や糞置遺跡から出土している木器や木の材に、や刀子の使用の跡を確認できる。糞置遺跡の柄や手斧柄、原目山二号墓(福井市)出土の鑿や刀子の出土は後期後半の時期には鉄器が普及してきたことを示している。



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