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 第一章 原始時代の社会と文化
   第一節 ふるさとのあけぼの
    四 古福井人の生活
      交流・交易
 土器の文様のなかで、地域性を示すものとして、鳥浜貝塚では他地域から運ばれた土器の存在も見逃せない。このことは陸路や海路によって、かなり広い範囲での交流・交易が行われていたことも物語る。
 鳥浜貝塚の出土品のなかには黒曜石がある。剥片石器の原料であり、製品も出土している。この石は火山活動の産物であり、産出地が特定されるという特性がある。黒曜石の産地の割出しには、蛍光X線分析という方法が有効のようで、鳥浜貝塚の黒曜石は、日本海西部の島根県隠岐島産と内陸部の長野県霧ケ峰産のものであることが判明している(東村武信・藁科哲男らによる)。
 石鏃や石匙など剥片石器の材料である黒っぽいサヌカイト(讃岐石)はきわめて大量に出土するが、この石の産地も、瀬戸内海を渡った香川県金山産と奈良県から大阪府にひろがる二上山のものが鳥浜貝塚に運ばれたことが判明している。こうして、陸・海の交易の道がうかんでくるのである。このほか石器の材料で、輝石安山岩も鳥浜貝塚で検出されるが、その産地はどうも能登半島の可能性がきわめて強いようである(藁科の教示による)。石器の材料だけでもこのように、他地域との広い交易の証拠が確実に示されている。これらは、鳥浜の地にもたらされたものを挙げたが、当然のことながら、この地から見返りに運ばれたものもあったことであろう。内陸には魚をはじめ貝などの「海の幸」が、そして、海辺の地域には石斧の柄など鳥浜貝塚人の木製品が運ばれたと推察される。
 昭和五十三年の調査で確認されたココヤシの存在は、対馬暖流によってもたらされた漂流物の最古のものである。このことは、島崎藤村の「椰子の実」の詩の世界を現実のものにし、柳田国男の「海上の道」を縄文時代にまで押し上げたといわれている。漆の文化のところでも述べたように、日本海や東シナ海を舞台とした交易の存在を考えなければ、解決できない縄文文化の諸問題がそこにある。もはや、東アジアの視点から縄文文化を考える段階に入ったといえるであろう。



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