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 第一章 原始時代の社会と文化
   第一節 ふるさとのあけぼの
    四 古福井人の生活
      土器
 考古学では、土器の文様や質を時代や時期特定の有力な手がかりにしており、縄文文化の研究でも、土器の編年は精緻をきわめている。鳥浜貝塚の土器も、縄文前期については、羽島貝塚(岡山県倉敷市)の土器にちなんで羽島下層式土器、あるいは小倉町遺跡(京都市)の土器にちなんで北白川下層式土器と愛称がつけられている。このように土器の製作には、驚くべきことに流行というものが十分にあるようだ。ということは、土器の地域性があるということになり、鳥浜貝塚の土器は、近畿・中国地方の強い影響を受けて作られたといえよう。
 土器の発明は、貯蔵と煮沸を可能にしたと教えられるが、どうやら最初は煮る・炊く・炒めるといった用途から土器が発明されたと考えるべきであろう。鳥浜貝塚の土器は、少量の特殊なものを除けば例外なくスス(炭化物)が付着している。食物のうまみを醸し出すために、加熱することに気がついた縄文人の鍋・釜が縄文土器であった。付着するススは、盛んに油が使用されたことを物語ると考えられる。前述のエゴマ油あるいはイノシシや鯨の油など、植物性・動物性の食用油が使用されたのであろう。天麩羅や空揚げの存在も想定できるわけである。また、ユリの根が土器の内側に層をなして確認される土器や煮こぼれ跡のきわめて明瞭に認められるものも出土している。
 鳥浜貝塚の各土器には補修孔が普遍的にみられる。土器のひび割れが生じた箇所に石のドリル(石錐)で孔をあけて、糸で修理しているのである。鳥浜貝塚では、糸が補修孔にそのまま炭化して残存している土器も出土した。このことから、丁寧に糸を製作して土器を修繕したことがわかる。ものを大切にする、使い捨てではなかった縄文人像が描かれる。
 もちろん、土器のなかには、貯蔵のためのもの、あるいは盛りつけのための皿のようなものも確かにある。容器としては、木製容器類・編物類(カゴ)の存在と自然に存在する木の葉、ヒョウタン果皮、あるいはヤシの実、二枚貝なども念頭におくべきであろうが、前述の漆塗り土器、加えてベンガラ塗の土器も見逃せない。これらの土器は煮沸用ではなく、何らかのハレの儀式用のために使用されたのかもしれない。



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