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 第一章 原始時代の社会と文化
   第一節 ふるさとのあけぼの
    四 古福井人の生活
      編布の発見
 昭和五十六年の第一号丸木舟発見時に三つの贈りものがあったことはすでに述べたが、その一つは編物の発見であった(写真23)。それが出土した時は、十分に弾力性が残っていた。その編物は同一個体のものが二点あり、大きい方の破片は縦約三・五センチメートル、横約四センチメートルで、毛糸の編物の断片のような感じであった。細かく観察すると、数十本の極細の繊維を撚って直径約二ミリメートルの糸を縦糸・横糸にしている。
写真23 編布

写真23 編布

 ところで、この種の類例としては、これまでにも朱円遺跡(北海道斜里町)・山王囲遺跡(宮城県一迫町)からの出土が知られていた(伊東信雄「縄文時代の布」『文化』三〇―一)。今から約三〇〇〇年前の朱円遺跡の場合は墓地からの出土で、炭化した編物の断片が火葬骨に付着して発見された。この状況からして衣服の可能性が濃厚である。そののち、この種の編物の出土例は増加の一途をたどっており、今から約五〇〇〇年前のものとして押出遺跡の例がある。そのほか、忍路土場遺跡(北海道小樽市)・中山遺跡(秋田県五城目市)・米泉遺跡(金沢市)などからも今から二五〇〇年前のものが発見されている。
 この種の編物は、アンギン様編物とされている(布目順郎『絹の東伝』)。この研究によって、これら一連のアンギン様編物の材質の一部が初めて明らかにされつつある。鳥浜貝塚のアンギン様編物の材質はアカソと判明した。さらに、それは新潟県の信濃川中流域で最近まで製作されてきた越後アンギンとよばれる労働着のルーツである可能性を推測させるとのことである。「まさに後世のアンギンの祖先ともいえるものであり、日本人の衣料の源流とみなすことができる」(布目前掲書)とまでいわれている。
 縄文時代において、毛皮や皮革の衣料としての利用は、従来も指摘されてきたことであるが、このような編物の実物資料にもとづいて、材質までも明らかにして、植物繊維の衣料の存在が明確にされたことになる。
 これは、鳥浜貝塚における、赤い漆塗りの櫛、骨角器のカンザシ・ヘアピン・ペンダント、石のイヤリング、貝のブレスレットなど一連のアクセサリーの存在、加えて前述のトリハマパール、各種漆製品などからも、植物繊維の衣料の存在は説得力のある主張といえよう。想像をたくましくすると、三つ編みの縄からは髪の毛を三つ編みにする女性、漆塗りの土器や木製品の文様からは衣服の染色あるいは刺繍の存在などが浮かんでくる。
 ところで、この種の類例としては、これまでにも朱円遺跡(北海道斜里町)・山王囲遺跡(宮城県一迫町)からの出土が知られていた(伊東信雄「縄文時代の布」『文化』三〇―一)。今から約三〇〇〇年前の朱円遺跡の場合は墓地からの出土で、炭化した編物の断片が火葬骨に付着して発見された。この状況からして衣服の可能性が濃厚である。そののち、この種の編物の出土例は増加の一途をたどっており、今から約五〇〇〇年前のものとして押出遺跡の例がある。そのほか、忍路土場遺跡(北海道小樽市)・中山遺跡(秋田県五城目市)・米泉遺跡(金沢市)などからも今から二五〇〇年前のものが発見されている。
 この種の編物は、アンギン様編物とされている(布目順郎『絹の東伝』)。この研究によって、これら一連のアンギン様編物の材質の一部が初めて明らかにされつつある。鳥浜貝塚のアンギン様編物の材質はアカソと判明した。さらに、それは新潟県の信濃川中流域で最近まで製作されてきた越後アンギンとよばれる労働着のルーツである可能性を推測させるとのことである。「まさに後世のアンギンの祖先ともいえるものであり、日本人の衣料の源流とみなすことができる」(布目前掲書)とまでいわれている。
 縄文時代において、毛皮や皮革の衣料としての利用は、従来も指摘されてきたことであるが、このような編物の実物資料にもとづいて、材質までも明らかにして、植物繊維の衣料の存在が明確にされたことになる。
 これは、鳥浜貝塚における、赤い漆塗りの櫛、骨角器のカンザシ・ヘアピン・ペンダント、石のイヤリング、貝のブレスレットなど一連のアクセサリーの存在、加えて前述のトリハマパール、各種漆製品などからも、植物繊維の衣料の存在は説得力のある主張といえよう。想像をたくましくすると、三つ編みの縄からは髪の毛を三つ編みにする女性、漆塗りの土器や木製品の文様からは衣服の染色あるいは刺繍の存在などが浮かんでくる。



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