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 第一章 原始時代の社会と文化
   第一節 ふるさとのあけぼの
    四 古福井人の生活
      食卓拝見
 昭和三十八年に調査した時の層序の観察から、その季節性が指摘されている(岡本勇「原始社会の生産と呪術」『岩波講座 日本歴史』一)。つまり五五〇〇年前の同一土器形式に、上から淡水の貝を主体とする貝層、魚の骨やウロコの魚骨層、クルミを主体としたドングリ類、クリなどの木の実層がきわめて整然と堆積していたのである。これは、植物採集と漁撈とが季節的な違いとしてとらえられ、食物採集活動の季節的変遷を物語るものとされている。この観察結果は、その後の鳥浜貝塚の調査にも生かされ、「生業活動の復元」という共通のテーマで調査を進めることになった。発掘においては、遺物包含層をふるいで水洗選別するという方法を採用し、詳細な観察が実施された。

表2 鳥浜貝塚出土の動物遺体

表2 鳥浜貝塚出土の動物遺体
 彼ら鳥浜貝塚人の食の原点は、四季のたまものを大切にすることであった。自然食がわざわざデパートの一角に並べられる今日と比べ、彼らこそ自然の生みだした恵みを大切にし旬を享受したのであった。山の幸・うみの幸・里の幸の恵みを豊かに受けたのだ。
 彼らの周囲に展開する三方湖は、母なるうみで生活の基盤でもあった。春には、湖のマツカサガイ・ヌマガイを採集し、少し海の方にも出かけて汽水産のヤマトシジミもとった。山では、ミツバ・ウド・フキなどの山菜も盛んに採集した。おそらく、フナ・ウナギをとり、ハ
スなどもとれたであろう。
 夏は、近くの海に出かけた。マグロ・カツオ・ブリ・サワラなどの回遊魚をとっている。タイやフグもとっている。貝類ではアワビ・サザエをたくさんとった。とくに、サザエはそのフタがよく出てくるが、殻は少なく、出てきても殻の焼けたものが目立つ。これはおそらくサザエのつぼ焼きをしていたに違いないと考えられる。
 秋は文字どおりの収穫の季節であった。山のドングリ類・クルミ・クリ・カヤの実が採集された。三方湖のヒシの実も盛んにとられた。また、ジネンジョやユリの根も掘り出された。
 冬は狩猟の季節である。シカ・イノシシ・カモシカ・サルなどがとられた。毛皮を目的にカワウソ・テン・アナグマなどもとられた。

表3 鳥浜貝塚出土の有用植物

表3 鳥浜貝塚出土の有用植物
鳥浜貝塚では、土器の表裏に炭化物が付着している例、あるいは土器の表面に煮こぼれの痕跡が明瞭な例がある。おそらく、クジラ・イノシシやエゴマなどの動物性・植物性の油による調理法が普及していたことが推測できるのである。つまり、油を使用した天麩羅か空揚げの手法があったのではないか。土器の炭化物はフライパンの底の様相を呈する。
 



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