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第一章 原始時代の社会と文化
   第一節 ふるさとのあけぼの
    四 古福井人の生活
      トリハマパール

 鳥浜貝塚の昭和五十六年の調査は、第一号丸木舟の発見でわいたが、その調査時に、三つの贈りものがあたかも添えられていたというのはいささか大げさであろうか。その一つは、幅のある薄い骨で製作した未完成品の櫛であり、二つめは編布(アンギン)の断片が顔を出したこと、あと一つは「トリハマパール」(写真22)として新聞でも全国に紹介された五五〇〇年前の真珠である。
写真22 トリハマパール

写真22 トリハマパール

まったくの偶然であるが、鋼矢板の外側、つまり調査対象地区外から二点とも検出された。第一号丸木舟の三分の二以上は、調査対象地区外の方向に延びており、舟尾が鋼矢板のなかで発見され矢板に切断されたあとの部分があった。折衝の末、反対側の調査がようやく実現の運びとなり、その際の出土品が真珠であった。丸木舟に手こずり、真珠については、かなりあとになってからの仕事になってしまった。
 この真珠については、ミキモト真珠の真珠博物館の全面的な協力で、少なくともわが国最古で、世界でも有数の古さを誇る真珠であることが科学的に証明された。時折、真珠の化石やアワビ貝の真珠とかが発見されたとかで報道されることがあるが、それらは真珠様の物質で、正確には真珠ではないという。つまり、真珠層構造の存在が重要な点である。
 トリハマパールであるが、変形の半球状で大きさは長径一五・六ミリメートル、短径一四・五ミリメートル、厚さ一〇ミリメートルである。色沢は全体に淡褐色で側面や底面の一部に真珠光沢をおびている。重さは約三グラムである。内部の構造を詳細に観察すると、空隙や有機質の存在は認められず、ほぼ同一物質からなっている。このような特徴から、淡水産の二枚貝(カワシンジュガイ・ドブガイ・カラスガイ)が母貝と考えられるという。このことから、天然真珠の一種、ブリスターパールであろうという結論が出されている。これらの結論は、光学顕微鏡による観察、蛍光分光測定などが実施されたうえでのことであった。光を当てると、妖しくまばゆいばかりの光沢を呈するこの真珠は、やはり彼らが意図的に採取したに違いないであろう。現在、若狭湾はわが国の養殖真珠の日本海側の北限であり、興味深いことであるといえよう。
 最近、北海道で縄文時代に属する穿孔された真珠の発見が報道されたが、縄文時代の真珠としては、約四〇〇〇年前のものとして、宿毛貝塚(高知県宿毛市)で一点、時期は明確にされてないが、おそらく約二五〇〇年前のものとして岩谷洞穴出土(岩手県岩泉町)の穿孔された二点の真珠がある。つまり、日本国内の遺跡からの真珠の発見例はきわめてまれである。この意味からも、トリハマパールは縄文人の装飾品を語る重要な発見でもある。



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