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 第一章 原始時代の社会と文化
   第一節 ふるさとのあけぼの
     二 縄文人の足跡
      縄文文化の時期区分
 縄文土器は、考古学者にとって愛称ともいえる地名などの名称がつけられてよばれる。たとえば、鳥浜貝塚の土器の中心は「北白川下層式」などとよばれる。なぜ、京都市左京区の地名が土器の愛称に使われるのだろうか。「北白川下層式」土器というのは、考古学を専攻する者のいわば学界用語であるのだが、その意味する内容は深いものがある。縄文土器はさまざまな文様がつけられ、器形のうえでも変化に富む。この縄文土器は、流行や地域性があることから、「形式」が設定されている。先の「北白川下層式」もその形式を表現する名称なのである。形式は、その土器が最初に発掘され、ほかの土器と明らかに異なることが明確にされた遺跡名をつけるように約束されている。形式はさらに研究された結果、古さが順序だてられて、いわゆる縄文土器の「編年」が組み立てられている。
 一万年以上続いたとされる縄文時代の古さを表現するために、前述の土器の精密な研究成果にもとづいて、最近では、一般的に六時期に区分されている。それは、草創・早・前・中・後・晩期である。そして、先ほどの土器の「形式」は物差しの目盛りにたとえられる。最近では、この六つの時期区分の考え方のほかに、縄文文化の歴史的視点にたって、新しい物差しが提唱されている。それは、成立段階(草創・早期)、発展段階(前・中期)、成熟段階(中期末から晩期前半)、終末段階(晩期後半)の四段階である(岡本勇「原始社会の生産と呪術」『岩波講座 日本歴史』一)。
 さて福井県内の縄文文化は複雑であり、編年的研究に支障をもたらしている。つまり、東・西・南から、あるいは北から縄文文化が多彩に伝播し、若狭・越前の縄文文化を形成しているようだからである。この複雑な福井県の縄文文化を全県的にとらえた最初の本格的なまとめは、昭和六十一年刊行の『福井県史 資料編一三』であり、縄文文化の県内の各遺跡の遺構・遺物について解説され、体系的にまとめられた。それを参考にして、ここでは六時期区分により県内の各時期の縄文遺跡とそれらの遺物について解説を加えることにする。



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