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 第一章 原始時代の社会と文化
   第一節 ふるさとのあけぼの
     二 縄文人の足跡
      縄文文化のはじまり
 原始時代の人びとが使用した容器の一つである土器の文様から命名された文化が、縄文文化である。この土器の発明は、旧石器文化と決定的に区別できる画期の一つといえよう。おそらく原始人は焚火などをしていて、消したあとの土がかちかちに固まっていることを経験し、しだいに土すなわち粘土の化学変化に気づいたのであろう。可塑性をもつ粘土に熱を加えることによって、まったく別のものに変化させ、土器を出現させたのである。土器の発明は、原始人の食生活にも大きな味覚の変化をもたらしたに違いない。これまで食用になり難かったものを、煮ることによって彼らの味方にしたに違いない。では、この土器の発明はわが国ではいつごろのことなのだろうか。縄文文化の開始時期と関連する問題である。世界的にも、放射性炭素による年代測定が盛んに実施されている。その成果によって、縄文文化は今から約一万二〇〇〇年前に開始されたことが判明している。そして延々と今から二二〇〇〜二三〇〇年前ごろまで続き、実に一万年を超える期間が縄文文化であった。
 土器のほかにこの時代の特色を物語るものに、弓矢の発明という重要な画期があった。鳥浜貝塚(三方町)では、その実物が出土している。それは長さが一・五メートル前後の短弓で、カシ・クリ・マユミといった弾力性に富む木が使用されている。なかには桜の皮を巻きつけた、いわば樺巻きの優品もある。弓筈の部分は、コブ状に削りだしたものや、たんに尖らせたものなどがあり、あるいは樺巻きの弓のなかには弓筈部分に桜の皮を約二回巻きつけてコブを作り出しているものもある。ところで、これらの弓はけっして単純なものではないことがわかった。というのは、木の芯を避けるようにして削りだして丸木弓を製作しているからである。これこそ、弾力性に富む丸木弓が得られる製作方法であった。丸木弓は、それまでの大型の獣類主体の石槍の狩猟具に代わって出現した。縄文文化の道具のなかでも、構造は単純でありながら、革新的な発明である。矢を発射するという手段で、すばしっこい小型獣や鳥に対する狩猟にとっては、まさしく効果的な道具の登場であった。
 土器と弓矢の出現に加えて、縄文文化の特色は木の文化の開始でもあったということである。これについては、四項で紹介するが、縄文人が加工した豊富な木製品や繊維製品、そして木の実をはじめ森から得られる食料がこの文化を支えたのである。



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