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 第一章 原始時代の社会と文化
   第一節 ふるさとのあけぼの
    一 はじめての福井人
      西下向遺跡
 遺跡は越前加賀国定公園内に所在し、米ケ脇から東尋坊に向かう荒磯遊歩道の途中の地点にある。加越台地が日本海に面した海岸段丘上に位置している。基本的な層序は、報告書によれば、1a層(表土)、1b層、2層、3層、4層、5層、6層、7層(砂礫層)に分かれている。旧石器は1b〜6層に包含され、そのなかで最も集中するのは3層上部と報告されている。
写真10 西下向遺跡遠景

写真10 西下向遺跡遠景

 旧石器と認定された石器類はいずれも輝石安山岩製のもので、ナイフ形石器・削器・二次加工の認められる剥片などであった。松村の採集した石器は、典型的なナイフ形石器で、それは比較的大型の長さ九・四センチメートル、幅三・七センチメートル、厚さ一・一センチメートルのものである。これまでは広く国府型ナイフ形石器とよばれていたもので、当初、その石器の剥片製作技法としては、これまで瀬戸内技法とよばれていた技法が想定されていたが、発掘資料を検討した結果、これまでの瀬戸内技法とは異なる新たな剥片製作方法であることが確認され、「三国技法」と命名された。
 前述の雄島遺跡(三国町)の石器は、やはり輝石安山岩製の削器である。また同じく、馬コロバシ遺跡(三国町)の石器は、チャート製のもので、切出形石器もしくは角錐状石器としている(『資料編』一三)。木橋遺跡(永平寺町)からは、安山岩製のナイフ形石器と石核が採集されている(前掲書)。このように越前の旧石器文化はわずかながら判明し、遺跡の数も増加しつつあるが、若狭地方では、今のところ確実に旧石器文化に属する遺跡はわかっていないのが現状である。
写真11 西下向遺跡出土のナイフ形石器

写真11 西下向遺跡出土のナイフ形石器

 さて、西下向遺跡は、地層の綿密な観察や火山灰層序の検討などから、その時期は旧石器時代後期(ナイフ形石器文化)、すなわち、今から約一万数千年前の遺跡と考えられ、いわば「はじめての福井人」の明確な足跡をわたしたちに示してくれた。このはじめての福井人たちは、今日の福井県とはまったく異なった気候・地形・動物相・植物相の環境のなかで生活を営んでいたのである。



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